徒然なるままに日暮らし

日記

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なんとなくヘッジファンド考

近年、金融の世界に限ったことでは無いかもしれないが、やたらと横文字&カタカナが登場することが多い…気がする。

用語の名づけ親は、それが関係する産業が先進的である国なのだろう。
でも、日本語から生まれた専門用語もたまにはお目にかかりたいところだ。

まぁ愚痴を言っても始まらないので、カタカナに悪戦苦闘しながら、ファンドの分析をやってみたり、レポートを読んでみたりしている毎日。

ようやくというか、とうとうヘッジファンドにぶち当たった。

新聞や報道番組?で悪役を演じるているが、実はニュースキャスターも誰も良く分かっていない(!)
まるでスケープゴートのような?あわれな存在。⇒ヘッジファンド

ここらで、ヘッジファンドくんの本当の姿を勉強するのも良いだろう。

1ヘッジファンドの定義

「私的に組成され、プロの投資マネジャーによって運営される。一般投資家に広く購入されることのない共同投資のための法的『器』=ビークル」

そもそも、ヘッジファンドは超お金持ちか機関投資家が資金を運用するためのプライベートな投資ファンド。

一般人を相手にしないため、ごく普通の投資信託のように投資家保護の様々な規制を必要としない。
そのため、ファンドマネジャーは自由度の高い戦略で運用できる。

ヘッジファンドはハイリスク&ハイリターンなイメージをもたれているが、実はそうじゃない。

もちろんそのようなファンドもあるが、ローリスク&ローリターンの運用をするものや、元本確保型も珍しくない。

2背景

確かに、1998年に米系ヘッジファンドのLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)が大幅な損失を出し、破綻寸前までいった「LTCM危機」とよばれる世界市場を巻き込む危機も起きた。

ヘッジファンドは規制が軽く、情報開示の強制がされていないのでファンドマネジャーによる不正を発見するのは困難であり、どこまで信用できるか、あるいはどのようにリスク管理するかが重要なポイントだ。

ただ、問題ばっかりじゃない。

1990年代以降に急拡大した理由は、主要国の金利が低い状態におかれたままだったというのもあるが、

?株式や債券の動向に関わらず、正の収益率を確保したこと、
?ボラティリティ(変動率)が株よりも低く推移したこと、
?伝統的資産(株、債券など)との相関が小さく、分散投資の効果が期待できる

という3つのメリットがあったためだ。

株式へ投資すれば、多額の利益を期待できるかもしれないが、その分リスクが大きい。
債券は満期まで持てば元本欠損のおそれは小さいが、金利が低すぎて話しにならない…

という状況で、ヘッジファンドは株式より変動率を小さく抑え、でも債券よりリターンが期待できるという金融商品。

そりゃ、買いますわね。


3これからのヘッジファンド

これって、個人投資家へも応用できないか?
当然、そう考えて、個人向けに組成できないか検討が始まる。

実際に、ヘッジファンドが入っている公募の国内投信もある。

でもやっぱり、ヘッジファンドはヘッジファンド。
なかなか分かりにくい商品であり、管理を要するのは言うまでもない。








PB |

仕事の楽しみ方

勤続4年目ももう間近。就職活動をしていた頃が懐かしい。

幸いな事に、今も当時とほとんど変わらない気持ちで仕事と向き合っている。

東京での生活も特に不自由なくやっていける。

でも、他の同僚たちはどう思っているだろう?

私にとって今の職場は働きがいがある所としても、すぐ身近な人物はそうは思っていないかもしれない。

同じ環境であっても、180度違う方向を向いている。

「仕事が楽しくない」と言っているなら、それは一面正しい。仕事そのものは、厳密に言えば物事に過ぎない。
では仕事を楽しくするには…?

やっぱり仕事を楽しむ努力をするより他にない。

それを分かっていても、楽しくないのを人のせいにしたり、業務のせいにしている人はとても多いようだ。

もったいない話だよなぁ…
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日本人の生き方

日本人であるがゆえに、気が付かない日本人の特性とは。
人間の一番奥深くの思考に関係するのは宗教的なものだろう。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にあって、仏教に無いもの…
それは、「世界の終わり」という考え方だという。 (『日本人の人生観』山本七平)

前3つのセム的一神教による歴史観は直線グラフのように、過去から現在、未来へひとつながりであり、「今」は二度と訪れることはない。
しかし、仏教には終末論はなく、人間は死ぬと天国か地獄へ送られまた生まれ変わるという永遠に輪のなかをぐるぐる回る。

だから、仏教徒には厳密には過去や未来という考え方は持っていない。
「世界が完全に終わる時がくる」とは思っていないため(正確には終末論はあったけれどその時は過ぎ去ってしまった)、自分たちが歴史の一部を担っているという考えは、ユダヤ教徒や
キリスト教徒、イスラム教徒に比べると強くないらしい。

だから、現在を、目の前の仕事を一生懸命にすることが修行であり、美徳であり、それ以上のことは考えられないのだ。

なんだかよく分かったような、分からないような、腑に落ちない妙な感覚はあるが、
確かに大筋ではそのようだと思われる。
戦前と戦後の両方を生きた著者によると、日本人とは未来を考えられない民族だという。

未来を予想しているように見えて、実は現在を基準に考えているために実際に10年後、20年後になったとき全くの的外れになっている。
数々の具体例と、実際に今の自分が10年後を予想しているかということを考えれば、その通りかどうかすぐに分かる。

未来を予想できないのは何故か。
それは、過去からの連続性を持っていないから。常に、過去を「消去」してきたからだ。
過去の思考の変遷が分からないから、未来の思考の変遷を予測できない。
日本人は常に、今の思考を基準にものを考えざるを得ない。

ただし日本人は、未来の大変革を予想できない代わりに、その大変革が目の前に来れば、すんなりとそれに馴染んで、それの考えに抵抗無く合わせて生きていくことができる。


だいぶ長くなったが、こう考えると現在の全ての面における日本の「遅れ」の説明がつく。
投資が苦手なのも当然のことだ。
しかも、幸か不幸か日本人は国家の終わりがどのようなものかを誰も知らない。
日本がなくなるかもしれないということを現実味をもって考えられない。
よくよく考えれば、日本という国家が永遠だという保証は無いのに。
たとえ考えていたとしても、「自分の生きている間にはなくならないだろう」と考えれば、
結局永遠に続くと考えるのと大した違いは無い。

でも、もしあと10年後、日本が国家として機能しなくなっているとしたら。
円が使い物にならない通貨になっているとしたら。
そういう終末論を問いかけると、「頭がおかしい人、宗教かぶれ」とつい決めつけ真面目に考えることから逃げがちになるが、そういう思考も「かぶれ」であることを忘れてはならない。

どの宗教が良いとかそういう問題ではなく、その当時の人の思考に立って歴史と向き合えないことと、過去を踏まえた未来の予想ができないことは、日本のあやうさを示していると思う。




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